金剛院は、1522年聖弁和尚(しょうべんわじょう)という僧侶によって開かれ、500年の歴史を誇る真言宗豊山派のお寺です。歴代の住職から数えて33代目になります。17世紀後半には、幕府によりすでに古寺として認定されています。
江戸後期の天明年間、大火事の被災者を多く助けた功績として、将軍の縁戚にしか許されない朱塗りの山門建立を許可され、赤門寺とも呼ばれていました。一方で、地域の寺子屋として人々に親しまれ、この地の教育の原点でもありました。楽しイベントがたくさん行われ、「四国八十八箇所お砂踏み参拝所」や「長崎不動尊」など多くの信仰によって、季節折々に咲く花に囲まれた落ち着いた寺容を誇る名刹です。
- 弘法大師(こうぼうだいし)が開かれた宗旨
- 奈良県にある長谷寺が本山です。大きな観音様と牡丹が有名。
- すべてを肯定し、正しい智慧で区別していく曼荼羅(まんだら)の世界観
- すべての徳を持ち合わせた大日如来(だいにちにょらい)。その中の「やさしい」慈悲の徳だけを強調した阿弥陀如来(あみだにょらい)が金剛院の本尊です。真言宗ではそれぞれの仏さまは、大日如来が時々に応じて変化した姿なので、どんな仏さまも拝むことができるという特徴があります。
Access
住所
東京都豊島区長崎1-9-2
電車でお越しの方へ
椎名町駅北口出口を右折した斜め迎えの興産信用金庫城西支店の右隣になります。
※駐車場は手前になります。
金剛院の周辺は「長崎」という地名です。この地名は「水辺にある岬状の土地」という地形に由来するという説があります。また、平清盛の子孫・盛綱が韮山町長崎に住み、長崎氏を名乗ったことからはじまるともいわれています。その後、六代・長崎次郎高重がこのあたりを領有したことから、長崎村という地名が生まれたともいいます。いずれにしても元弘年中(1331~1334)のことと思われます。
鎌倉時代、長崎村は米や麦、野菜類を産出する豊かな村となりました。特に、「長崎にんじん」と呼ばれたにんじんは人気を博します。特に椎名町は繁栄し、「椎名町の商人には貧しい人はいない」と「嘉陵紀行(かりょうきこう・1815年発行)」には書かれています。
しかし、明治5年(1872)になっても、長崎村の総人口は825人、165戸にしか過ぎません。うち140戸が金剛院の檀家でした。そして明治22年(1889)に下落合村の一部を加え、独立した村になったのです。
大正4年(1915)、武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開通しました。当時は12の駅があり、池袋の次が東長崎駅でした。この駅名は九州の長崎とまぎらわしいことから、東長崎と命名されたといわれています。大正13年(1924)には、椎名町駅が完成。そして2年後の大正15年(1926)に長崎村は町に改まりました。
大正12年(1923)の関東大震災やその後の昭和20年(1945)の東京大空襲によって家を失った人々が長崎町に大量に流入し、人口が急激に増加しました。さらに山手通りや目白通りの道路が整備され、以来急速な進歩をとげ、今日に至っています。
豊島区立熊谷守一美術館
虚飾を好まず、ただひたすら芸術の道を歩み、「現代の仙人」と呼ばれた画家・熊谷守一。その生きざまから文化勲章の受賞も断ったといいます。素朴で実直、それでいてあたたかみある熊谷の絵画や美術に触れながら贅沢なひと時を過ごしてみては?
住所 |
〒171-0044 東京都豊島区千早2-27-6 |
TEL | 03-3957-3779 |
トキワ荘記念碑(豊島区立 南長崎花咲公園)
漫画家の聖地・トキワ荘があった南長崎3丁目にある南長崎花咲公園に、平成21年3月にトキワ荘記念碑が建立されました。トキワ荘を忠実に再現したブロンズ製モニュメントには、手塚治虫をはじめ10名の漫画家の自筆似顔絵とサインが描かれています。
住所 |
〒171-0052 東京都豊島区南長崎3-9-22 |